このブログについて


バラの栽培についての考え方や方法は多様です。その多様性こそが、バラが文化として豊かであることの証左なのでしょう。
"答え"は一つではないとすれば、バラ栽培の楽しさは、"自分のバラの世界を見つけ出す" その過程にあると思っています。

このブログは試行錯誤中のバラ栽培の記録です。一部の記事はバラ仲間に私の方法を紹介するために書いたものもありますが、
「栽培ガイド」の類ではありません。バラ栽培を始めた頃に書いた記事の内容は現在の栽培方法とは異なるものも多く、
技術的にも拙くて誤謬も多々含まれていると思われます。批評的に読んでくださるようお願いします。

2014年11月9日日曜日

私のバラは微笑んでいるか

ブログ再開にあたって

2013年4月から14年3月まで、粕屋町バラサークルが主催した「環境に優しいオーガニックバラ栽培講座」の準備と運営に追われ、ブログの更新ができませんでした。

講座の終了と同時に、私とバーバラは5年間お世話になった粕屋町バラサークルを卒業させていただきました。それから8ヶ月、現在は自分の小さなバラ園の手直しをしています。粕屋町バラサークルに在籍していた間に学んだことを実践しようとしているのですが、パートナーのバーバラと二人では今以上の発展性がないと意識するようになりました。

自分の作業をできるだけ正確に記録することは、問題点や目標を見つけ出すために有効であろうと考え、ブログを再開してみようと思います。とりあえずは、ブログを中断していた期間の幾つかの作業を振り返ってみます。

このブログの読者は 私自身

私はバラ栽培歴6年目、多くのバラ栽培愛好者のみなさんから見ればまだまだ新参者です。なのに、自分がこれまで書いたものを読み返すと、アドバイス口調だったり、あるいは『知ったかぶり』をしています(冷汗)。

この「アドバイス口調」の文章は誰に向かって書いているのか?

「環境に優しいオーガニックバラ栽培講座」実現へ向けてのアジテーションの意味合いもあったのは事実です。でも訝しく思われるかもしれませんが、それは他の誰でもなく「私自身」なのです。

花が活きているか バラは微笑んでいるか

私の仕事は写真撮影です。幾つかの分野の写真を撮りますが、いけばなの写真を30年以上も撮っています。
先日、ある流派のS先生のお話を聞くチャンスがありました。

S先生は御年93歳、太平洋戦争で撃沈された潜水艦の乗組員だったそうで、最後になった出撃の際、たまたま別の軍務のために乗り込んでいなかったのだとか。70年後の今なお毎朝未明の空に向かって亡き戦友のご冥福を祈ってあるそうです。『自分一人だけが生き残った。その命をどう生きるか、いつもそれを考えてきた』。

先生は、地元では有名な私立女子中・高校の現役の講師として、いけばなを指導してあります。先生の作品も永い間拝見してきましたが、豪華で珍しい花材を使うことが多い華道界で、庭や野に自然に育つ身近な草花を使って花を生けられます。この日の花材は「セイタカアワダチソウ」がメインでした。

先生のお話

かたちに拘ってはいけない。花を生けるために自然の中で育っている草花を切ってくるのだから、
その切られた草花が作品になった今も生きているか、どうか。それが重要なんです。

・・・私のバラはどうだろう? あるべき姿で生きているだろうか。微笑んでいるだろうか。

S先生とは、華道・真生流の 副田翠峰先生です。2015年、残念ながらご逝去されました。
これは私が撮った先生の作品の中では最後の写真です。2014年10月撮影。

副田翠峰先生はもの静かでしたが、うちに秘めたものの強さをその輝く目に感じる方でした。
笑顔がとても素敵で、私も先生のようになれたらと憧れておりました。
『かたちに拘ってはいけない』というお話を、忘れることはないと思います。
ありがとうございました。

今頃は二十歳の青年に戻り、潜水艦の仲間たちと共に楽しい時間を持ってあることでしょう。 謹んで 先生のご冥福をお祈りいたします。

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